木暮のブログ

木暮よるグランパスについて思いつくことを書くやつ

楢崎正剛選手の引退から自分の人生について語る

 今日2019年1月8日に名古屋グランパス楢崎正剛選手が引退を表明した。
名古屋グランパスの象徴とも言えるレジェンドなのはもちろんだけど、僕にとっては自分のサッカー人生を振り返ってみたときに、自分をサッカーへ導いてくれた人であった。


小学生時代の僕は両親の影響やパワプロの影響で野球に関心の強い子供だったが、
小学校に野球のクラブがなかったのでクラブ活動ではサッカーをしてた。
その時はサッカーを見ることに興味はなく、サッカー自体も中学1年でやめてしまった。


そんな僕のサッカーに対する最初の転機は2002年の日韓W杯で、当時中学2年生だった僕も周りの雰囲気から日本代表の試合を見るようになっており、このときに初めて楢崎正剛という選手を認識した。
同時に名古屋グランパスに所属していることを知り、なんとなくここで、名古屋グランパス楢崎正剛が僕の中に出来上がる。
だけど、W杯以降は日本代表のサッカーも見なくなり、またサッカーとは無縁の学生生活を送っていった。


第2の転機は大学生になったとき、フットサルのサークルに入ったこと。
運動したいしサッカーやってたからフットサルをやろうという軽い気持ちでフットサルのサークルに入ったけど、そこには高校までサッカーやってた連中がそろってて、自分なんか手も足も出ず、当初は居心地の悪さも感じていた。
ただ、優しい先輩もいたおかげで馴染むことができ、楽しんでサークルに参加していけるようになった。

経験者の多いサークル内での話題は海外サッカーやJリーグのことが多くそういう話題が多いものだから、自分も自然とサッカーに対して興味を持ち、僕もここでようやくサッカーの知識を身に着けていき、地元の名古屋グランパスというチームにも興味を持ち始めていった。

グランパスというチームに興味を持ち始めたものの、当時はひとり暮らしを始めて、
仕送りもない状態だったのでお金はなく、初期投資が必要なスカパーで見るのは諦めて
地元テレビのニュースでちらっと映るのを見るくらいだった。
グランパスの情報は、主に2ちゃんねるやブログでしか情報を得れてなかったけど、地上波でやる日本代表の試合は欠かさず見るようになっていた。
このときの日本代表の試合のGKは楢さんだったから、所属がグランパスと出てなんとなく嬉しい気持ちになっていった。


2012年、スカパーオンデマンドの登場でようやくJリーグの試合を通して見れるようになり、ようやくグランパスの試合を年間通して見始めるようになった。
なので実は2010年に優勝したときのことや、その翌年2位でシーズンを終えたことは結果自体は嬉しいものだったが、どこか第3者目線で俯瞰したような感じでグランパスを追っていた。

ただ、2012年のグランパスは正直あまり印象に残っていない。
この年は修士の2年で学会や卒論に追われ、あまり真剣に見れていなかったからだ。
けれど、流し見ながらだけど試合は見ていて選手も覚えていき、最終節に勝てたら3位でACL出場できたのにという、悔しい思いをするくらいにはグランパスにハマっていった。


最大の転機になった2013年、社会人になる僕は自分のお金で初めてスタジアムに試合を見に行った。
開幕戦のジュビロ磐田が相手の試合に、無謀にもソロでゴール裏に赴いた。
試合開始の30~40分程前、まずGKの選手達がピッチに現れゴール裏に挨拶にくる。
そしてサポーターたちと楢崎選手のチャントを歌い始める。
自分が初めてスタジアムでチャントを歌ったのが楢さんのだったせいか、その時のことはよく覚えている。ゴール裏でみんなと歌うチャントは純粋に楽しかった。
試合は1-1の引き分けで終わったけど、いろんな初めてを体感し、とても新鮮な気持ちだった。

この日からようやくグランパスを、そして楢さんを追っかけていくようになった。
でみ、正直に言えばこのときはまだあまり楢さんをすごいとは思っていなかった。
というより、グランパスの象徴としては知っていたけど、試合をしばらく見ていてもプレーが印象に残らなかった。
名古屋にずっといる凄い選手という認識だけはあり、その考えでコンフィットシャツを楢さんのものにしてなんとなく追っていただけだった。


ずっと試合を見ていくうちにふと気づく。
相手GKのミスで点をとったり勝たせてもらうことがあったけど、楢崎選手はそういうミスをほとんど犯さない。
GKの見せ場といえばビッグセーブだろう、だけど楢さんは目立つビッグセーブはあまりない。
思い返せば前年オンデマンドで見ていたときもそうじゃなかっただろうか。

その後色々自分で調べていき、ポジショニング・コーチング等で相手にシュートを限定して打たせていることを知った。
ポジショニングが正しいからミスせずプレーできるのだ。
一見ビッグセーブに見えるセーブも、実はポジショニングが悪いがゆえに起きるもの、正しい位置にいればミスをすることも減るし、簡単にゴールを守ることができる。

楢さんはそこまで印象に残らないからこそすごいキーパーだった。
色々なことに気づいてGKの面白さを知っていった。そして、GKというポジションが好きになり、楢さんもどんどん好きになった。

試合を見るとき、だんだんGK目線で試合を見れるようになっていった。
今までに気にしなかったことを楢さんがいたことで試合を考えながら見れるようになっていった。


社会人になってもフットサルは続けていて、いつしかキーパーを自ら志願してやるようになった。

サッカーとフットサルの違いはあるにせよ、GKの難しさ、そして楽しさを体感していった。
なんとなく自分は楢崎と同じポジションをしているんだぞと思うと、それだけでちょっと嬉しかったりもした。


楢さんの24年の現役生活に比べて、真剣にグランパスと楢さんを応援し始めたのが2013年からのたった6年だけだったけど、それでも間違いなく今までも、これからも一番好きな選手です。
楢さんのチャントが一番好きでした。楢崎正剛、俺らの誇り。
スタジアムで、もう楢さんのチャントを歌えなくなることはとても残念ですが、これからもずっと僕は楢崎選手のチャントを口ずさんでいくでしょう。


自分のサッカー人生のいろんなきっかけに楢さんがいました。
選手としてももちろん偉大だけど、それ以上に、僕にとっては自分がサッカーを見ることに導いてくれた恩人みたいな人だと勝手に思っています。
2002年のW杯で僕がグランパスを認知でき、2010年まで日本代表にいてくれたからグランパスへの興味を持ち続けられ、今まで現役でグランパスの試合に出続けられたことで、サッカーを、グランパスを、そしてキーパーを好きになることができました。


24年の現役生活お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。